さくペラ

さくっとぺらいちというサイトのつづき

ウォッチャーとプレイヤー

休日になると、ちょっとまた哲学的思考になるのですが、改めて数年の自分を振り替えり、大学に行くまではプレイヤーだったけれども、今はウォッチャーに成り下がっているなぁと。

ウォッチャーとは情報を集める人。情報を集めること自体が目的であり、そこで満足してしてしまう消費者。それに対してプレイヤーは自分の目的を達成するために情報を集める人。またはそこから二次的な制作物を生産する供給者。と勝手に定義付けします。

大学に行く前までは、自分自身との対話から「生きる意味」を問い続け、様々な哲学書を読みあさり、外国文学「魔の山」「レ・ミゼラブル」等々を読破しつつも、小説や詩をつくったりしていましたし、高校までの教育のあり方に対して、特に英語学に対して疑問を抱き、言語学に目覚め、「生成文法」を研究し、これは違うと悟り、「認知言語学」に出会い「認知意味論」や「認知文法論」などの学術書を読みあさって、独自の文法論を構築しようとしていました。
英語学習法に付いてもさんざん取り組んで、ある結論に至ったりもしました。

大学受験が終わり、大学でwebに出会ってからはそちらに知的好奇心が向いてしまい、結局それを今の生業としているのですが、仕事にしてしまったが故に、プライベート時に全くwebに対して知的好奇心が向かないようになってしまいました。

休日はぼーっとする日が続きます。

そんなある日、アトランティスを書いた漫画に出会いました。この本に出会って驚いたのは、歴史が大好きだった自分と未だにその自分は生きていて、夜眠れなくなるほどの知的好奇心が湧き出てくるということです。

インターネットも成熟して、簡単に高度な情報が手に入るようになったし、社会人になってしばらくしてお金もたまってきたことだし、そろそろ大学に行くまでにもっていたその他の知的好奇心を復活させてみようかと、試みようと思います。

その第一弾はやはり「英語文法論」になります。(つづく)